南国の陽光のように温かい笑顔が印象的なレイさん。
かつて那覇でマレーシア料理の講師として活動してきた中、
市民大学にも入学し、今、この南城の地で、新たな出会いを心待ちにしている。
彼女の人生の道筋には、予期せぬ出会いと、「楽しむこと」を最優先する揺るぎないこだわりがあった。

大嫌いな「言語」から始まった日本への道
レイさんはマレーシア出身。30歳前半まで故郷で生活していた。
今の流暢な日本語からは想像ができないが、
大学で外国語が必須科目になった際は「言語は大嫌い」だったと笑いながら打ち明ける。
選択肢が少ない中で日本語を選んだことが、転機に。
日本語の先生がとても素晴らしい方で、「選んでみたら、とても好きになっちゃった」と、
とても授業が楽しかったと話すレイさん。
「自分も先生のようになりたい」という思いが、活動に繋がっている。
嫌いから好きへ。この予想外のきっかけが、レイさんを教える道へと導く。
卒業後にマレーシアで、日本語学校の大人向け講座を副業として担当。
特にレイさんが好んだのは、試験などに重向きを置くのではない、「楽しくできる」教室だった。

マレーシアから南城へ。
沖縄へ移住したのは、旦那さんが沖縄出身だったことから。
南城市での生活が始まる際も、まるで運命が仕組んだような出来事があった。
家を探しに訪れた際、休業日の不動産屋でたまたま担当者と出会い、トントン拍子に話が進む。
なんと、その日のうちに家を購入することを決めてしまったんだとか。
現在、彼女が住むのは公民館近く。
美しい景色の魅力もさることながら、「南城市が好き」 という気持ちが大きい。
地域活動に積極的に参加し、この地での生活を心から楽しもうと努力したい。

異文化交流の場としての料理教室
レイさんは那覇にある、語学も料理も同時に学べるクッキングスクールで、
自国であるマレーシア料理を教える講師として3年ほど活動していた。
教えていたのは、マレーシアの家庭料理から本格的な料理まで。
マレーシアは多民族国家だからこそ、料理もインドネシアや中華の影響も濃く、スパイシー。
得意な料理は、ココナツミルクで炊いたご飯にチリペッパーなどを添える「ナシレマ」。
また、伝統的なお菓子であるオンデ・オンデ(ココナッツでまぶした黒糖入りの団子)もおいしいとの事。
もちろん、他国で料理を教える苦労もあった。
日本の食材に合わせて味を調整したり、複雑なレシピを講座の限られた時間内に終わるよう変更したり。
多くのことを考えながら準備する日々だったが、
生徒から「美味しい」という言葉はもちろん、文化的な共通点を発見して驚く声を聞くと、
「シェアできることが楽しかった」と振りかえる。


生徒の楽しさが一番
レイさんが教える上で最も大切にしていたのは、技術や知識以上に、生徒たちの心に楽しさの火をつけること。
生徒たちの「楽しい」、それを一番に優先したい。
「知識はもちろんですが、このきっかけで生徒たちが好きになってくれたらとても嬉しい。
一番私にとって大切です」。
彼女にとって、生徒が楽しくみんなで時間を共にし、
料理をきっかけに文化にも興味を持ってもらうことが何よりの喜び。
沖縄とマレーシア、チャンプルーが繋ぐ文化
沖縄での生活の中で、レイさんは故郷マレーシアと沖縄の間に共通点があると話す。
気候や植物など、南国らしい風景が似ているため、沖縄に馴染みやすかった。
ハイビスカスはマレーシアの国花でもあるという。
さらに興味深いのは、食文化の類似。
沖縄料理には黒糖や豚肉料理など、中華系を通じているからこそ、マレーシアと共通する要素がある。
そして、最大の発見は「言葉の共通点」。
「沖縄方言の”チャンプルー”と、マレー語の”チャンプル”は、意味も一緒で”混ぜる”なんですよ」。
レイさんは、この共通点を知った時、沖縄とマレーシアの繋がりを感じたそう。
沖縄の人たちが優しく接してくれることや、こうした類似点のおかげで、
「あまり、違うところにいるっていう感覚もないのかも」と語る。


南城市で広げたい、温かい食の輪
彼女は、自分が愛するマレーシア料理や文化を、地元の南城市の人たちに伝えたいと思っている。
もっと気軽に、地域の人々が文化と料理を楽しむ機会を作りたい。
参加者が「美味しい!」と笑顔になること、
そして、マレーシアという遠い国に興味を持つ「きっかけ」を提供すること。
レイさんの温かい人柄に触れれば、きっと誰もが「一緒に何かしてみたい」と感じる。
南国の風が運ぶ新たな食の出会いは、もうすぐ南城市で花開こうとしている。















