「沖縄にないものはないと思います。」
そう断言する鋒山さん。現在はタクシー運転手としてお仕事をしながら、ガイドの活動を続けている。
東京から移住した鋒山さんが、ガイドをしながら伝える、あなたの心に眠る「元(ルーツ)」とは。

関東での生活と沖縄移住の決意
鋒山さんの出身は神奈川県 川崎市。東京に囲まれた都会で生まれ育った。
社会人になってからもそのまま東京で就職。平日は新宿のダイビングストアに勤め、
週末には、お客さんを関東圏の伊豆等のダイビングスポットへ連れて行くような働き方をしていた。
海が特別好きだった鋒山さん。初めて沖縄を訪れたのもダイビングでの旅行がきっかけだった。
「365日沖縄の海に浸りたい」
旅先での強い思いから、沖縄移住を決意した。
百名の海に魅せられて
沖縄への移住は2007年。
初めてきたダイビング旅行の日程中に、職場と住む場所が決まったというから驚きだ。
最初は職場があった浦添市へ。
沖縄でも、ダイビングのインストラクターとして働いていた鋒山さん。
そんな中、バイクの事故にあい一ヶ月寝たきりになる経験を経て、ダイビングから離れる生活へと変わる。
南城市への転居は、そのような中での転職を機に、との事。
しかし、浦添市に住んでいた頃から、毎朝百名の海で朝日を見に訪れ、
そのまま当時の職場だった那覇へ向かう生活を1年ほど続けていたという。
「4時に起きたりとか。それは今のタクシーの早起きでも生かされて。 繋がってますね。
今は仕事が休みの日とかだけですけど。」と笑う。
今でも、朝日の写真をInstagramで投稿し続けている。

歴史への好奇心が揺さぶられる場所
現在は、タクシー運転手として沖縄中を走っている鋒山さん。
仕事外の時間は、沖縄の歴史や文化を深く探求し、ガイド活動に力を入れている。
そんな鋒山さんも、「なんじょう市民大学」の13期卒業生。
「東御廻り(あがりうまーい)」のチームに入り、歴史を深く学うちに、「意外と面白いな」と感じたそう。
そこから、今まで知らなかった沖縄の歴史の奥深さに引き込まれていく。
そんな中、南城市観光協会公認のガイド「アマミキヨ浪漫の会」の募集を知り、
講座通じて団体に加入する。
現在は、斎場御嶽のガイドをはじめ、南城市にある5つのグスク(文化財)のガイドや
尚巴志ハーフマラソンなどでのガイドも行っている。

ガイドから見える沖縄の魅力と哲学
鋒山さんは、斎場御嶽に来た方々には必ず覚えて帰ってほしいと伝えている言葉があるという。
それは、「イチャリバチョーデー(一度会えば皆兄弟)」。
イチャリバチョーデーの後には、「何隔(ぬーひだ)てのあが」=何の隔てがあるものか、という言葉が続く。
人々は皆、何の隔たりもなく平等であるべきだという、
普遍的な平和の価値観がこの言葉には染み込んでいるのだそう。
沖縄には、戦禍など様々な辛い経験をしてきたからこそ、隔てなく、
みんな平等であろうとする深い精神が息づいている。
この言葉が本当に深い意味で心に染み込んだら良いと感じています、との事。
また、活動に置いて大切にしている事を伺うと、
鋒山さん自身が、「自分の元は何なのか」という問いを常に探求している感覚があるという。
東京で生まれた鋒山さんが、遠く離れた沖縄で繋がる部分や共感できる物を見つけているように、
この場所だからこそ、自分たちのルーツ、つまり「元」を再認識することができると考えているのだそう。
「観光客の方に、沖縄を通して「自分の元(根っこ)になるところが何なのか」に、気づいて帰ってほしい。」
沖縄は、その「大元」が以外と見つかる場所。

走り続ける探求者として
鋒山さんは、タクシーの仕事とガイド活動を組み合わせて、
活動を広げたいと考えているという。
例えば、東御廻り(あがりうまーい)の14個の聖地や、南城市のグスク巡り、
そして水が湧き出る泉(カー)巡りなど。
タクシーなら、リクエストに応じて少人数で深く。様々な歴史的な場所を巡ることができる、と話す。
鉾山さん自身が、沖縄の魅力に魅了された内の1人だからこそ、
訪れる方々には、「単なる観光地としてではなく、この島の持つ深い歴史や精神性に触れる事で、
「ウチナーンチュ」になって帰って行ってほしい」と願う。
沖縄に来て18年目。
「出る予定は今のところ全くない」「考えられない」と明言する。
本土にいた時期の方がまだ年数的には長いというが、
最終的に70歳くらいまで沖縄で過ごせれば、「ウチナーンチュ」になれるかな、と笑う。
人々が自分を深める場所として、その魅力をこれからも伝え、走り続けていく。
これからも、沖縄の南城市で。

【関連サイト】
朝日の写真を投稿している鋒山さんのブログ














